この1本から
歴史が始まった
昭和38年8月、
焼酎蔵元「喜楽酒造」を
営んでいた湯通堂 保が、
指宿市湯の浜にあった蔵元の別荘を、
八室の純和風旅館「喜楽」として創業。
旅館創業当時まで、製造販売
していた焼酎こそが「喜楽」であり、
いぶすき秀水園の原点でございます。
昭和38年8月、
焼酎蔵元「喜楽酒造」を
営んでいた湯通堂 保が、
指宿市湯の浜にあった蔵元の別荘を、
八室の純和風旅館「喜楽」として創業。
旅館創業当時まで、製造販売
していた焼酎こそが「喜楽」であり、
いぶすき秀水園の原点でございます。
焼酎蔵元「喜楽酒造」を営んでいた湯通堂 保(会長)が、蔵元の別荘を増改築し客室8室の純和風旅館「喜楽」を創業。
和室を8室増築し16室に。
大広間と結婚式場を増やし、多彩な活用ができる旅館へと進化しました。
客室数は16室70名を収容。宿泊料金は1,500円~5,000円の設定で、砂むし温泉の料金は25円でした。ちり鍋、鰻のせいろむし、とんこつ料理は名物料理としてお客様よりご愛顧いただいておりました。
当時の貴重品袋(左)と箸袋(右)。箸袋には「指宿小唄」などの歌詞が書かれていました。
旅館 喜楽の玄関にて
現在の「秀水の間」の場所にあった、かつての大浴場
当時の玄関には、焼酎醸造用の甕壺が置いてありました
旅館喜楽のパンフレット
旅館喜楽の全景
旅館喜楽のロビー
鉄筋3階建ての本館(現・島津の棟)を建築。新たに和室18室を加え、屋号を「ホテル秀水園」に改名しました。
昭和を代表する喜劇俳優フランキー堺さんは、湯通堂 保と鹿児島大学付属小学校の同級生で、晩年まで交流がありました。
秀水園パンフレットのモデルとなっているのは、湯通堂 保とその娘、そして当時のメイド長と仲居さん。宿泊料金は2,000円~8,000円という設定で、ロビーには水車があり「うなぎのせいろ蒸し」が名物でした。
今日の秀水園の「味」を広めることとなった石井料理長が誕生したことで、秀水園は新たなステージへと進化することとなりました。
新館(現・指宿の棟)を増設し、特別室4室、食事処、スナック、大浴場、会議室を改造しました。
献立や配膳(出し方・下げ方)、器、味、質、量など「食」を総合的に評価する料理部門で初めて1位を獲得しました。
指宿の棟・島津の棟を大幅にリニューアルしました。翌年には、特別棟として黎明の棟を建設し、客室数52室となりました。
指宿名物の砂むし温泉をお気軽にご利用いただけるようになりました。
「島津の棟」1階の客室を改装し、貸切り風呂「湯浴み処」を2ヶ所、エステルーム1ヶ所を新設しました。
湯通堂 保(会長)「秀水園」に生まれ変わった玄関にて
俳優フランキー堺さんと
秀水園のパンフレット
当時の領収証。時代を物語る手書き様式
昭和55年正月の集合写真
会席料理
会席料理
砂足湯
和風「湯浴み処」桧
洋風「湯浴み処」碧
純和風旅館ならではの上質感を大切に守り、新たなステージへとチャレンジします。
創業55周年を迎え本格焼酎「喜楽」限定2,000本(4合)復刻しました。(協力:指宿酒造株式会社)
いぶすき秀水園玄関
柿釜ふろふき焼き
薩摩黒豚柔らか煮
あわびの素味噌焼き
本格焼酎「喜楽」