昭和38年8月、
焼酎蔵元「喜楽酒造」を営んでいた湯通堂 保が、
指宿市湯の浜にあった蔵元の別荘を、
八室の純和風旅館「喜楽」として創業。
旅館創業当時まで、製造販売していた焼酎こそが
「喜楽」であり、
いぶすき秀水園の原点でございます。
焼酎蔵元「喜楽酒造」を営んでいた湯通堂 保(会長)が、蔵元の別荘を増改築し
客室8室の純和風旅館「喜楽」を創業。
昭和39年 10月
和室を8室増築。16室に。
昭和42年 10月
大広間と結婚式場を増やし、多彩な活用ができる旅館へと進化。
『旅館 喜楽』の玄関にて。
現在の「秀水の間」の場所にあった、
かつての大浴場。
当時の玄関には、
焼酎醸造用の甕壺が置いてありました。
「旅館喜楽」の全景。
「旅館喜楽」のロビー。
旅館 喜楽のパンフレット。客室数は16室70名を収容。
宿泊料金は1,500円~5,000円の設定で、砂むし温泉の料金は25円でした。
ちり鍋、鰻のせいろむし、とんこつ料理は名物料理としてお客様よりご愛顧いただいておりました。
当時の「貴重品袋」(左)と、「箸袋」(右)。 箸袋には、「指宿小唄」などの歌詞が書かれていた。
鉄筋3階建ての本館(現・島津の棟)を建築。
新たに、和室18室を加え、屋号を『ホテル秀水園』に改名。
昭和51年9月には、政府登録旅館に認定された。
![]() |
![]() |
---|---|
湯通堂 保(会長)。 「秀水園」に生まれ変わった玄関にて。 |
昭和を代表する喜劇俳優、フランキー堺さんは、 湯通堂 保と鹿児島大学付属小学校の同級生。 晩年まで交流があった。 |
![]() |
![]() |
秀水園のパンフレット。モデルとなっているのは、 湯通堂 保とその娘、当時のメイド長と仲居さん。 宿泊料金は、2,000円~8,000円という設定で、 ロビーには、水車があり、 「うなぎのせいろ蒸し」が名物だった。 |
当時の領収証。時代を物語る手書き様式だ。 |
昭和52年
今日の秀水園の「味」を広めることとなった石井料理長が誕生したことで、
『秀水園』は新たなステージへと進化することとなる。
昭和56年 8月
新館(現・指宿の棟)を増設し、
特別室4室、食事処、スナック、
大浴場、会議室を改造。
昭和55年正月の集合写真。
昭和60年 1月
献立や配膳(出し方・下げ方)、器、味、質、量など「食」を総合的に評価する
料理部門で初めて1位を獲得する。
平成4年 ~ 5年
指宿の棟・島津の棟を大幅にリニューアル。
翌年には、特別棟として黎明の棟を建設し、客室数52室となる。
平成18年
指宿名物 砂むし温泉を
お気軽にご利用ください。
平成23年
島津の棟 1階の客室を改装し、貸切り風呂「湯浴み処」を2ヶ所、
エステルーム1ヶ所を新設。
和風 「湯浴み処」桧
洋風 「湯浴み処」碧
純和風旅館ならではの上質感を大切に守り、
新たなステージへとチャレンジする。
平成29年
![]() |
||
---|---|---|
![]() |
![]() |
![]() |
柿釜ふろふき焼き | 薩摩黒豚柔らか煮 | あわびの素味噌焼き |
平成29年 8月
協力:指宿酒造株式会社